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ルカの福音書20章20節~26節「あなたはだれのものか」

28:59
 
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さて、機会を狙っていた彼らは、義人を装った回し者を遣わした。
イエスのことばじりをとらえて、総督の支配と権威に引き渡すためであった。
 彼らはイエスにこう質問した。「先生。私たちは、あなたがお話になること、お教えになることが正しく、またあなたが人を分け隔てせずに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
私たちがカエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか。いないでしょうか。」
イエスは彼らの悪巧みを見抜いて言われた。「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。だれの肖像と銘がありますか。」
 彼らは「カエサルのです。」と言った。するとイエスは言われた。「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」
彼らは、民の前でイエウのことばじりをとらえることができず、答えに驚嘆して黙ってしまった。
①きょうの聖書箇所を読んでゆきますと・・当時のエルサレムにいた宗教指導者たち。 
つまり、祭司長たち、律法学者たち、長老と呼ばれていた人たちは、みな、とても、焦っていたことがわかります。
・民衆の多くが・・、「主イエス・キリストの宣教を聞き、この方にこそ、真実がある!」 
そう感じ始めていたからです。
・多くの宗教指導者たちは、この時、このように思っていました。
「このままだと、民衆の心は、みなこのイエスに向かってしまう。 そうなれば、自分たちの存在意義が失われてゆくに違いない・・このままではまずい。」 
 
・そこで彼らは、数人の者をイエスのところに遣わして、イエスを当局に訴え出、葬り去ってしまう、そのための、口実を捜すことにしたのです。
・彼らに遣わされた者たちは、ほめ言葉を上手に使いながら、主イエスに近づいてきます。
・21節「先生、私たちは、あなたがお話になることが正しく、また、あなたが人を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。」  
・「ところで、私たちがカイザルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか・・。」
・彼らが、なぜここで、税金のことをもち出したのかと言いますと・・
 この「税金を納めるべきか、納めるべきでないか」は、当時のイスラエル人社会の中では、実に敏感な問題であったからです。
・ここで彼らが言っている「税金」とは、成人ユダヤ人すべての人に適用される、人頭税のことです。
・当時のユダヤ人たちは、年一回、この人頭税を、わざわざ、ローマの貨幣で支払わなければならなかったのです。
・「ローマの最高権力者の像が刻まれているその貨幣を使って、税金を納めなければならない」
これは、彼らのプライドを大きく傷付けていたのです。 
・真面目な信仰者ほど、「これは、神に仕える我々が、やるべきことなのだろうか・・」
そういう思いを強く抱いていたのです。
・イエスを訴える口実を捜していた彼らは、主イエスに、この刺激的な、「税金を納めるべきか、納めるべきではないのか」について問い詰めたのでした。
・そうです。これは罠でした。 
・もしイエスの答えが「納めるべきではない」というのであれば、それは、イエスを当局に訴える格好の口実となります。またもし、その答えが、「納めるべきである。」というのであれば、民衆の心がこのイエスから離れて行く、そのきっかけになる、そう彼らはそう考えたのです。
・このような、巧妙な罠を仕掛けて来た彼らに、主イエスはこのように答えます。
24節「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。」 彼らがそのデナリ銀貨を持って来ると、主イエスはこう言われます。「誰の肖像と銘がありますか」、すると彼らは即座に、「カエサルのです。」と答えるのでした。
・このカエサルといいますのは、言うまでもなくローマ皇帝のことです。
 当時の実際のローマ皇帝は、ティベリウスでしたが、このティベリウスも、称号としては、カエサルと呼ばれていたのです。
・この後、主イエス・キリストは、この有名な御言葉で締めくくります。
 →「カエサルものはカエサルに返しなさい。神のものは神に返しなさい。」
②きょうは、皆さんと・・この主イエス・キリストの語られた、この御言葉から、神さまの普遍的なメッセージをくみ取ってゆきたいと思います。
・この時主イエスは、先ず彼らにこう言われました。「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。」
・当時の1デナリ銀貨には・・(表にカイサル)つまり、ローマ皇帝の肖像が描かれていて、こう書かれてありました。 「テベリウス。神、アウグストスの息子。」裏には、「オリーブの枝を持った、皇帝の母リビヤの像」が描かれていました。
・当時の人頭税は、14歳から65歳までの男子一人につき、年1デナリでした。 
なぜ、女子が出て来ないのかといいますと・・当時は、現代では信じられないほど男中心の社会でしたので、女の人は頭数に入っていなかったのです。 女子は、父親か夫の持ち物、そういう考え方です。そうです。ひどい男尊女卑の世界です。 それは、ともかく・・
・この税金は、一年間に一人一デナリですから、考えてみると、額は大したものではありません。現代の日本でいいますと年1万円ほどです。ですから、事は、経済的問題というよりも、彼らのプライドの問題だったのです。
・これに加えて、人々を刺激していたのは、この税金がローマの貨幣デナリで支払わなければならなかったことでした。これが、人々の神経をさらに逆なでしていたのです。
・ローマの貨幣であるこのデナリ銀貨は、「ここはローマ皇帝の所有する国である!この地はローマ皇帝のものである!」そういう支配権、所有権を象徴していたからです。
③ここで、主イエスはこうおっしゃいます。「カエサルのものは、カエサルにかえしなさい。」
 
・これには、「ローマに納税すること。皇帝の元に納税すること。それは、返すということであってそれ以上ではない・・。それは、ローマにひれ伏すとか、ローマに仕えるということではありません。」そういう意味が込められていました。
・目くじら立てて・・反対したり、納税する者を非難したり・・その人たちの信仰をさばいたりする、そのような事ではありません。誰も、静かに納税すればいいことなのです。
主イエスは、そう言っておられるわけです。
・しかし、その後(あと)に主イエスが語られた事・・ ここに大事なメッセージがあったのです。 主はこのようにおっしゃいました。 →「神のものは、神に返しなさい・・。」 
とても意味深な言葉です。
・一瞬、何をおっしゃっておられるのか・・わかるような、分からないような・・そんな風に感じる御言葉です。
〇まず「神のものは」とは、何を指しているのかですが・・
・もう、お気づきだと思います。 そうです。神の者とは、私たち自身のことを指しています。 
・私たちは、こんにちまで・・神様の、恵みにより、命ある者とされ、そして生かされてきました・・ 
また、私たちは、神さまの恵みにより、喜びをもって歩んでゆく、その信仰が与えられてきました。 そして、次の世界に確かに移されてゆく、そういう希望も与えられてきました・・
ですから、私たちは、正に、神のものです。
・少しわかりにくいのは、その先です。 その、私たち自身を・・「神に返しなさい」・・と、主イエス・キリストが語っておられることです。
・よくよく考え見ますと・・これは、キリスト者にとって・・非常に大事な課題だと思います。
何をどうしたら・・神さまに自分をお返しすることになるのかです・・。 
・若いころの私は、ここには、大事なことが語られているのではないか、と感じながらも、結局、どこかぼんやりとしか捉えることができず・・、中年になるまで、どこか、わかったような、わからないような、そんな感じで、時を無駄にしてしまったように思います。
④少し聖書記事から離れますが・・
この間、ゆうちょ銀行のホームページを見ていましたら・・面白い記事が載っていました。
・それは、内閣府が行った、平成21年度のアンケート。「子育て費用に関する調査」というものでした。・・一人の子どもを育てるのに掛かる費用を算出したところ、一人、約3000万円程掛かる。そういう数字が出て来たというのです・・。
・「え?一人育てるのに三千万円?」 普通のご家庭にとっては、余りに大金に思えます。
・しかし・・平均が約3000万円だというのであれば・・もっともっと掛かってしまった
そういうご家庭もあるのかもしれません。
・いずれにせよ。親たちは、すごいものです。我が子のためには、もう、必死に力を注ぎこんで、お父さんは残業して、お母さんもアルバイトをしたりして・・お子さんたちを育てているというのですから・・
・自分の為の服とか、自分の趣味にお金を使うということなど、全部後回しにして、ただひたすら子供の為に生きてゆく・・その総額が一人平均約3000万円になる、と言うのですから・・
・では、そんなに出費してきたのだから・・「大人になったら、その半分でもいいから、返してほしい・・」そんなことを考えている親がいるのか?といいますと・・、先ずいないのではないでしょうか・・。
・ほとんどの親は・・、「子供たちが元気にやっていてくれれば、それでいい・・ あるいは、幸せにやっていてくれれば、それで満足・・それが、親への最高のお返し。」そう思っているのです。
⑤では、主イエス・キリストが、「神に返す?」と語っておられるのは・・それは、どういうことを意味しているのでしょうか・・。 
・若かりし日・・こういうことが教会で話題になりますと、私は直ぐに、心の中で、すぐ、こんな風に考えました。「神に返す?それはやっぱり伝道することでしょう!」 「人は、伝道するために、存在しているのですから・・」
・あの頃は、若気の至りで、とても力んでいたと思います。
とても恥ずかしく思います。 
・こういう意見は、確かにかっこいい、確かに献身的に思えます。
また、このような考え方は、聖書に照らして、けして、間違っている、とは言い切れません。 
・しかし、では・・本当に神さまは、そういう容(かたち)のお返しを、私たちに求めておられるそういう方なのでありましょうか・・。
 
・聖書全体を、読んでゆきますと・・神さまは、そのようなことを強要する方ではけしてありません。 
・聖書を深く読めば読むほど、主イエス・キリストは、もっと、もっと私たち一人一人を、温かく、見つめておられる方なのです。
⑥きょうの聖書箇所ではなく、別の聖書箇所になるのですが・・
主イエスと弟子たちの間で、こういうやり取りがあったことをヨハネの福音書は伝えています。
・6:28-29です。弟子たちが・・「私たちは、神の業を行うために、何をすべきでしょうか・・」このように質問すると・・イエスさまはこうお答えになられました。「神が遣わした者を信じる事、それが、神の業です。」
・世界中で、今、重い病のために日々、横になっている事しかできない方々もおられます。
・高齢になって・・誰かの助けなしには食事もできない多くの方々もおられます。
・重症の障害のために、働くことができないでいる方々もおられます・・。
・小児がんと闘っている子どもたちも大勢います。交通事故で、体が思うように動かせられなくなっておられる方々もたくさんおられます・・。
・そういう、尊い、尊い、生きるという闘いの中におかれている方々を含めて・・私たちは、神さまに、どのようなことをお返ししてゆくことが出来るのでしょうか・・。
・救い主、我らの主イエス・キリストは、ここで、神に遣わされてきた者を信じなさい・・
信頼しなさい、これが、神の業です。と言われたのでした・・。
・つまり、神さまがのぞんでおられること・・、それは・・どんな境遇に置かれていても・・私たちが・・その遣わされた者を信じて生きてゆく事・・そして、いのちのパンにより、生き抜いてゆくこと・・・ただ、その一点なのです。
・私は、これこそ・・、だれもが、お返ししてゆける・・これこそ、神さまが最も喜んでくださるお返しである、と、思い、神さまを改めてほめたたえるのです・・。
⑦つまり、「神さまに、主イエス・キリストに、まったき信頼をしつつ、生き抜いてゆく」ということです。
・皆さん、お一人お一人を愛してやまない神さまは、 皆さんが、何か、特別な功績を遺すとか、
・・偉い人になるとか、信仰的貢献をするとか・・、そういうことを望んでおられる方ではありません。
・神さまは、神さまを我が主として、我が主人として、生き抜いてゆく、それで十分、と言って下さるお方であるのです・・。
・しかし、この、「生き抜いてゆく・・」これは簡単なことではありません。 
・先日も、「100歳になりたくない」と言い残して、自殺した方がおられましたが・・
この事件は、一人で、孤独の中で生き抜いてゆくということが・・、如何に困難なことである
のか、そのことを教えてくれました。
・そうです。人は、若者であっても、高齢者であっても・・生き抜いてゆくことは安易なことではないのです。 私たちは、どんな強い精神力を持っている者でも・・生きる意欲を失いそうになることが、長い生涯には何回もあるのです。
・ましてやイエス・キリストを我が主として、生き抜いてゆく、これは、尊くも重い課題なのです。
・しかし、懸命に生きる一人一人を見つめておられる主のまなざしは、実に寛容で、温かいということをけして忘れてはなりません。
○新しい週も、神さまを信じつつ、互いに祈り合い、励まし合い・・、
・忙しい私たちですけれども、なるべく連絡を取り・・、挨拶を交わし・・、言葉をかけ合い、温かい言葉をもって励まし合い・・共に、生き抜いてゆく一人一人でありたい、と思います。
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さて、機会を狙っていた彼らは、義人を装った回し者を遣わした。
イエスのことばじりをとらえて、総督の支配と権威に引き渡すためであった。
 彼らはイエスにこう質問した。「先生。私たちは、あなたがお話になること、お教えになることが正しく、またあなたが人を分け隔てせずに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
私たちがカエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか。いないでしょうか。」
イエスは彼らの悪巧みを見抜いて言われた。「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。だれの肖像と銘がありますか。」
 彼らは「カエサルのです。」と言った。するとイエスは言われた。「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」
彼らは、民の前でイエウのことばじりをとらえることができず、答えに驚嘆して黙ってしまった。
①きょうの聖書箇所を読んでゆきますと・・当時のエルサレムにいた宗教指導者たち。 
つまり、祭司長たち、律法学者たち、長老と呼ばれていた人たちは、みな、とても、焦っていたことがわかります。
・民衆の多くが・・、「主イエス・キリストの宣教を聞き、この方にこそ、真実がある!」 
そう感じ始めていたからです。
・多くの宗教指導者たちは、この時、このように思っていました。
「このままだと、民衆の心は、みなこのイエスに向かってしまう。 そうなれば、自分たちの存在意義が失われてゆくに違いない・・このままではまずい。」 
 
・そこで彼らは、数人の者をイエスのところに遣わして、イエスを当局に訴え出、葬り去ってしまう、そのための、口実を捜すことにしたのです。
・彼らに遣わされた者たちは、ほめ言葉を上手に使いながら、主イエスに近づいてきます。
・21節「先生、私たちは、あなたがお話になることが正しく、また、あなたが人を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。」  
・「ところで、私たちがカイザルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか・・。」
・彼らが、なぜここで、税金のことをもち出したのかと言いますと・・
 この「税金を納めるべきか、納めるべきでないか」は、当時のイスラエル人社会の中では、実に敏感な問題であったからです。
・ここで彼らが言っている「税金」とは、成人ユダヤ人すべての人に適用される、人頭税のことです。
・当時のユダヤ人たちは、年一回、この人頭税を、わざわざ、ローマの貨幣で支払わなければならなかったのです。
・「ローマの最高権力者の像が刻まれているその貨幣を使って、税金を納めなければならない」
これは、彼らのプライドを大きく傷付けていたのです。 
・真面目な信仰者ほど、「これは、神に仕える我々が、やるべきことなのだろうか・・」
そういう思いを強く抱いていたのです。
・イエスを訴える口実を捜していた彼らは、主イエスに、この刺激的な、「税金を納めるべきか、納めるべきではないのか」について問い詰めたのでした。
・そうです。これは罠でした。 
・もしイエスの答えが「納めるべきではない」というのであれば、それは、イエスを当局に訴える格好の口実となります。またもし、その答えが、「納めるべきである。」というのであれば、民衆の心がこのイエスから離れて行く、そのきっかけになる、そう彼らはそう考えたのです。
・このような、巧妙な罠を仕掛けて来た彼らに、主イエスはこのように答えます。
24節「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。」 彼らがそのデナリ銀貨を持って来ると、主イエスはこう言われます。「誰の肖像と銘がありますか」、すると彼らは即座に、「カエサルのです。」と答えるのでした。
・このカエサルといいますのは、言うまでもなくローマ皇帝のことです。
 当時の実際のローマ皇帝は、ティベリウスでしたが、このティベリウスも、称号としては、カエサルと呼ばれていたのです。
・この後、主イエス・キリストは、この有名な御言葉で締めくくります。
 →「カエサルものはカエサルに返しなさい。神のものは神に返しなさい。」
②きょうは、皆さんと・・この主イエス・キリストの語られた、この御言葉から、神さまの普遍的なメッセージをくみ取ってゆきたいと思います。
・この時主イエスは、先ず彼らにこう言われました。「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。」
・当時の1デナリ銀貨には・・(表にカイサル)つまり、ローマ皇帝の肖像が描かれていて、こう書かれてありました。 「テベリウス。神、アウグストスの息子。」裏には、「オリーブの枝を持った、皇帝の母リビヤの像」が描かれていました。
・当時の人頭税は、14歳から65歳までの男子一人につき、年1デナリでした。 
なぜ、女子が出て来ないのかといいますと・・当時は、現代では信じられないほど男中心の社会でしたので、女の人は頭数に入っていなかったのです。 女子は、父親か夫の持ち物、そういう考え方です。そうです。ひどい男尊女卑の世界です。 それは、ともかく・・
・この税金は、一年間に一人一デナリですから、考えてみると、額は大したものではありません。現代の日本でいいますと年1万円ほどです。ですから、事は、経済的問題というよりも、彼らのプライドの問題だったのです。
・これに加えて、人々を刺激していたのは、この税金がローマの貨幣デナリで支払わなければならなかったことでした。これが、人々の神経をさらに逆なでしていたのです。
・ローマの貨幣であるこのデナリ銀貨は、「ここはローマ皇帝の所有する国である!この地はローマ皇帝のものである!」そういう支配権、所有権を象徴していたからです。
③ここで、主イエスはこうおっしゃいます。「カエサルのものは、カエサルにかえしなさい。」
 
・これには、「ローマに納税すること。皇帝の元に納税すること。それは、返すということであってそれ以上ではない・・。それは、ローマにひれ伏すとか、ローマに仕えるということではありません。」そういう意味が込められていました。
・目くじら立てて・・反対したり、納税する者を非難したり・・その人たちの信仰をさばいたりする、そのような事ではありません。誰も、静かに納税すればいいことなのです。
主イエスは、そう言っておられるわけです。
・しかし、その後(あと)に主イエスが語られた事・・ ここに大事なメッセージがあったのです。 主はこのようにおっしゃいました。 →「神のものは、神に返しなさい・・。」 
とても意味深な言葉です。
・一瞬、何をおっしゃっておられるのか・・わかるような、分からないような・・そんな風に感じる御言葉です。
〇まず「神のものは」とは、何を指しているのかですが・・
・もう、お気づきだと思います。 そうです。神の者とは、私たち自身のことを指しています。 
・私たちは、こんにちまで・・神様の、恵みにより、命ある者とされ、そして生かされてきました・・ 
また、私たちは、神さまの恵みにより、喜びをもって歩んでゆく、その信仰が与えられてきました。 そして、次の世界に確かに移されてゆく、そういう希望も与えられてきました・・
ですから、私たちは、正に、神のものです。
・少しわかりにくいのは、その先です。 その、私たち自身を・・「神に返しなさい」・・と、主イエス・キリストが語っておられることです。
・よくよく考え見ますと・・これは、キリスト者にとって・・非常に大事な課題だと思います。
何をどうしたら・・神さまに自分をお返しすることになるのかです・・。 
・若いころの私は、ここには、大事なことが語られているのではないか、と感じながらも、結局、どこかぼんやりとしか捉えることができず・・、中年になるまで、どこか、わかったような、わからないような、そんな感じで、時を無駄にしてしまったように思います。
④少し聖書記事から離れますが・・
この間、ゆうちょ銀行のホームページを見ていましたら・・面白い記事が載っていました。
・それは、内閣府が行った、平成21年度のアンケート。「子育て費用に関する調査」というものでした。・・一人の子どもを育てるのに掛かる費用を算出したところ、一人、約3000万円程掛かる。そういう数字が出て来たというのです・・。
・「え?一人育てるのに三千万円?」 普通のご家庭にとっては、余りに大金に思えます。
・しかし・・平均が約3000万円だというのであれば・・もっともっと掛かってしまった
そういうご家庭もあるのかもしれません。
・いずれにせよ。親たちは、すごいものです。我が子のためには、もう、必死に力を注ぎこんで、お父さんは残業して、お母さんもアルバイトをしたりして・・お子さんたちを育てているというのですから・・
・自分の為の服とか、自分の趣味にお金を使うということなど、全部後回しにして、ただひたすら子供の為に生きてゆく・・その総額が一人平均約3000万円になる、と言うのですから・・
・では、そんなに出費してきたのだから・・「大人になったら、その半分でもいいから、返してほしい・・」そんなことを考えている親がいるのか?といいますと・・、先ずいないのではないでしょうか・・。
・ほとんどの親は・・、「子供たちが元気にやっていてくれれば、それでいい・・ あるいは、幸せにやっていてくれれば、それで満足・・それが、親への最高のお返し。」そう思っているのです。
⑤では、主イエス・キリストが、「神に返す?」と語っておられるのは・・それは、どういうことを意味しているのでしょうか・・。 
・若かりし日・・こういうことが教会で話題になりますと、私は直ぐに、心の中で、すぐ、こんな風に考えました。「神に返す?それはやっぱり伝道することでしょう!」 「人は、伝道するために、存在しているのですから・・」
・あの頃は、若気の至りで、とても力んでいたと思います。
とても恥ずかしく思います。 
・こういう意見は、確かにかっこいい、確かに献身的に思えます。
また、このような考え方は、聖書に照らして、けして、間違っている、とは言い切れません。 
・しかし、では・・本当に神さまは、そういう容(かたち)のお返しを、私たちに求めておられるそういう方なのでありましょうか・・。
 
・聖書全体を、読んでゆきますと・・神さまは、そのようなことを強要する方ではけしてありません。 
・聖書を深く読めば読むほど、主イエス・キリストは、もっと、もっと私たち一人一人を、温かく、見つめておられる方なのです。
⑥きょうの聖書箇所ではなく、別の聖書箇所になるのですが・・
主イエスと弟子たちの間で、こういうやり取りがあったことをヨハネの福音書は伝えています。
・6:28-29です。弟子たちが・・「私たちは、神の業を行うために、何をすべきでしょうか・・」このように質問すると・・イエスさまはこうお答えになられました。「神が遣わした者を信じる事、それが、神の業です。」
・世界中で、今、重い病のために日々、横になっている事しかできない方々もおられます。
・高齢になって・・誰かの助けなしには食事もできない多くの方々もおられます。
・重症の障害のために、働くことができないでいる方々もおられます・・。
・小児がんと闘っている子どもたちも大勢います。交通事故で、体が思うように動かせられなくなっておられる方々もたくさんおられます・・。
・そういう、尊い、尊い、生きるという闘いの中におかれている方々を含めて・・私たちは、神さまに、どのようなことをお返ししてゆくことが出来るのでしょうか・・。
・救い主、我らの主イエス・キリストは、ここで、神に遣わされてきた者を信じなさい・・
信頼しなさい、これが、神の業です。と言われたのでした・・。
・つまり、神さまがのぞんでおられること・・、それは・・どんな境遇に置かれていても・・私たちが・・その遣わされた者を信じて生きてゆく事・・そして、いのちのパンにより、生き抜いてゆくこと・・・ただ、その一点なのです。
・私は、これこそ・・、だれもが、お返ししてゆける・・これこそ、神さまが最も喜んでくださるお返しである、と、思い、神さまを改めてほめたたえるのです・・。
⑦つまり、「神さまに、主イエス・キリストに、まったき信頼をしつつ、生き抜いてゆく」ということです。
・皆さん、お一人お一人を愛してやまない神さまは、 皆さんが、何か、特別な功績を遺すとか、
・・偉い人になるとか、信仰的貢献をするとか・・、そういうことを望んでおられる方ではありません。
・神さまは、神さまを我が主として、我が主人として、生き抜いてゆく、それで十分、と言って下さるお方であるのです・・。
・しかし、この、「生き抜いてゆく・・」これは簡単なことではありません。 
・先日も、「100歳になりたくない」と言い残して、自殺した方がおられましたが・・
この事件は、一人で、孤独の中で生き抜いてゆくということが・・、如何に困難なことである
のか、そのことを教えてくれました。
・そうです。人は、若者であっても、高齢者であっても・・生き抜いてゆくことは安易なことではないのです。 私たちは、どんな強い精神力を持っている者でも・・生きる意欲を失いそうになることが、長い生涯には何回もあるのです。
・ましてやイエス・キリストを我が主として、生き抜いてゆく、これは、尊くも重い課題なのです。
・しかし、懸命に生きる一人一人を見つめておられる主のまなざしは、実に寛容で、温かいということをけして忘れてはなりません。
○新しい週も、神さまを信じつつ、互いに祈り合い、励まし合い・・、
・忙しい私たちですけれども、なるべく連絡を取り・・、挨拶を交わし・・、言葉をかけ合い、温かい言葉をもって励まし合い・・共に、生き抜いてゆく一人一人でありたい、と思います。
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